今週も、江戸時代に城下町だったエリアを
歩いています。
今回は、「横近習町大神宮」「柳町大神宮」
そして、足を伸ばして金手にある「尊躰寺」へ行きましたよ。
今回も甲府市教育委員会の金子誠司さんに
お話を伺います。
まずは、「横近習町大神宮」「柳町大神宮」の2か所についてです。
この2つは、もともと、伊勢神宮の宮として祀ったものです。
武田時代には、いまの山梨大学北にあった、
伊勢の森にある伊勢神宮の宮を、甲府城築城の際に、
現在の場所に移転したそうです。
さて、横近習町大神宮と言えば、節分の行事で有名ですね。
大神さんと呼ばれて親しまれていますが、
この日は沿道に、だるま、熊手などの縁起物から、
切り山椒、がらがらなどのお店も出ます。
商売繁盛、家内安全を願う人たちで賑わう場所です。
続いて、私たちは、甲府駅から足を延ばして、
JR金手駅近くにある、「尊躰寺」にやってきました。
このお寺、創建は武田信虎で、
浅野氏時代の文禄年間に、
元柳町(いまの武田三・四丁目)から移転した
と伝わっています。
実は、徳川家康とも縁があり、1582年、
徳川家康入国のときには、尊躰寺に仮御殿を建てて
本陣としました。
その後も度々在陣したようですよ。
お寺のご本尊は、真向三尊阿弥陀如来。
唐の善導大師筆で、鎌倉時代に南宋から来て
鎌倉の建長寺に入る蘭渓道隆が日本に
もたらしたといいます。
朝廷、石清水八幡宮を経て信虎の手に入りました。
どこから拝んでも正面に見えるといわれています。
ご本尊は、普段は拝むことはできませんが、
いま訪れると、大久保長安墓と伝えられる無縫塔、
それから、「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」で有名な
俳人・山口素堂と、
甲府学問所の初代教授・富田武陵(とみた・ぶりょう)の
お墓があります。
長い歴史の中で、さまざまな人が関わってきたお寺です。
ぜひ訪ねてみてください。
また来週も、てくてくします。