今月は、中道エリアをてくてくしています。
3週目の今回は、右左口(うばぐち)に戻りまして、
歌人、山崎方代ゆかりの地をめぐりました。
ここは、中道環道沿いの右左口宿でも最も標高が高い、
上宿(わでじゅく)にあります。
今回も、甲府市教育委員会の林部光さんに
お話を伺いました。
山崎方代は、中道の右左口出身の歌人です。
大正時代に生まれ、15歳ころから歌を詠み始めました。
太平洋戦争で右目を失明し、左目の視力もわずかになった
放代は、街頭で靴の修理などをしながら各地を旅をして、
「漂泊の歌人」と呼ばれました。
ここ右左口にある、山崎方代の生家跡は、
東屋もあり、地元の方が憩う場所になっていました。
山崎方代は、自らを「無用の人」と言って、
世間から離れて暮らし、生涯独身でした。
詠んだ歌からは、飾り気なく日常を切り取る中にも
どことなく寂しさがあるような感じがします。
暗い寂しさではなく、明るくユーモアがありながらも
根底には、ちょっと人恋しさとか寂しさがあり、
それが、歌を読んだ人の心にも染み渡ることで、
共感を生み、温かさが出てくるような、
とても魅力的な歌人だなと思っています。
また歌だけではなく、書も多くの人を魅了しています。
とても味わいのある字を書く人ですが、
詠む歌と、書がとても合っているなと思います。
生家跡には、方代の直筆が刻まれている歌碑があります。
(中道エリアには多くの歌碑があります)
ブログの最初に出ている写真も、歌碑の前で
撮ったものですよ。
また、生家跡から離れた円楽寺に、方代のお墓があります。
こちらも、方代の字が刻まれていますので、
多くの方が訪れ、方代の書を眺め、思いを馳せているそうです。
お酒も供えられていました。
墓石の側面の墓誌も、方代の字です。
また、言葉も方代が考えて書いたものです。
事務的に経歴が書かれているものではなく、
家族の歴史を描くような、温かみがあるものでした。
お墓の近くの道、遠くに南アルプスを臨む
とても美しい景色です。
優しくも、寂しさも感じる歌、
その礎を作った右左口の景色を眺めてたら、
方代の歌を思い出しました。
ふるさとの右左口邨(むら)は骨壷の底にゆられてわがかえる村
また来週もてくてくします。