第45回信玄公祭りまで、いよいよカウントダウンあと4日。
甲府駅前には早くも仮設トイレが設置され、多くのポスター・のぼりが躍動!
街は完全に信玄公祭りムード一色だよ。
そんな中、私またもや行って参りました。
一足早く舞鶴城に!!
ここに建てられるステージで16時半から甲州軍団出陣式。ドミンゴも四重臣として
ステージに上がらせてーー!!何にもしないから!
どうーーん。
舞鶴城公園案内図に行くと・・・・・
ボランティア解説員の小田切さんが、お城について分かり易く面白く解説してくれるのだ。
すると、東京からあずさでやって来たばかりだという歴史好き親子さんが熱心にご質問。
お知り合いになったんだけど、息子さんのシュンくんは坂本龍馬から歴史にハマり、
この日も「日本の名城100」という本を持って、お父さんに連れて来てもらったんだって。
お父さんもシュンくんを色んな所に連れて行ってあげてるウチに自分も歴史が好きになったみたいだよ。
シュンくん、小田切さんのお話を熱心に聞いてました。
偉い!戦国時代は特に面白いよな!!
シュンくん・小田切さん・ドミンゴで記念にパチリ!(お父さん撮影)
今日は泊りで明日は恵林寺に行くんだって。
甲府の夜満喫して下さい。
本番で会えたらイイですね!!!
これはね。
信玄公が当時詠んだ句を小田切さんが書き(達筆!)しおりになさった物をシュンくん・お父さん・ドミンゴにプレゼントしてくれました。
意味はね
「永い事暴君だった(晴信の頃でしょうか)私(信玄公)は孤独だが、やはり友と見ゆる月は格別の物である」
という意味なんだって。
現代の世にまで伝わる武功と名声を残した信玄公だけど、一国の主として長期間君臨する事は沢山の敵を作り、一時も安心して眠る事は出来ず。多くの物を得たけど沢山の大事なモノを失くして行ったのかもしれないよね。
これは裏面。小田切さんのサインが。
こうしたボランティアの方々がいらっしゃるからこそ、毎年の信玄公祭りの大きな成功に繋がっていると感じ、ドミンゴ改めて背筋の伸びる思いでありました。
はい、小田切さんと最近ブタ化が止まらないドミンゴでパチリ。
そして、この季節の舞鶴城公園・・・・・・・・・・・
桜満開、大開花!!!
ぐわーーん。
そして梅も咲きーーーの・・・・・・
去年の事、想い出しーーーの・・・・
思えばラムちゃんもやりーーの・・・・
海でのスナップーーーの・・・・
一旦老け---の・・・・
場違いな仕事しーーーの・・・・・
また若返りーーーの・・・・
こんな時代もあったよねーーーーの・・・・
また海行きーーーの・・・・
不意を突かれての・・・・・・・
桜ドーーーン!!!!
みんな、またこの桜の下で写真撮ろうな。そして・・・・・
待ってろ、謙信!!!!
母ちゃん、オレやったるけん。
さぁ信玄公祭りまで、あと12日。
いよいよカウントダウンだわさ。
武田信玄公は戦国時代、甲斐の他に信濃(現在の長野県)を分国として平定していたんだよね。それも諏訪には非常に関わり合いが深かった。
つーわけで行って参りました。
諏訪大社!!!
堂々の鳥居でございます。マイナスイオン出まくり。気持ち良かった。
お堂。
この縄のブッとさ。
これは「大注連縄」と呼ばれていて重量は約1トン!
お堂。
「第45回信玄公祭り」の大成功と内藤昌秀隊の「勝ち戦」を祈願して参りました。
本来なら武田神社で買うべき?かも分かんないけど、何か「ご縁」を勝手に感じまして
お守り購入。
そして!「諏訪」「武田信玄公」と言えば、勿論あの御方。
そこで私、行って参りました。
湖衣姫のお墓に!!!
長野県伊那市高遠にある建福寺は小さな商店街の中にいきなり、この様な立派な階段が
現れます。これを登り切ると・・・・・
ズデーーン!!と立派なコヤツが。
ドミ。
奥に進んで行くと、後ろの沢山のお墓たちを従える様に3つのお墓が。
この一番右端が・・・・
正真正銘、湖衣姫眠りしお墓であります。
しかし、このお寺には誰もいなく、お墓も悲しい位ひっそりと佇んでおり、周りは苔だらけでした。正直、天下の武田信玄公が深く愛した女性のお墓だとは・・・・。
そして誰かが頻繁にお参りしているとは思えません。
ボクはね、正直このお墓から「寂しさ」しか感じなかったよね。
湖衣姫のお墓と言うと小坂観音院だと勘違いされている方が多いようです。
(実際、諏訪神社の巫女さんも間違っていました)
小坂観音院にあるのは湖衣姫の供養塔で、お墓は建福寺なんだよね。
湖衣姫の父上は諏訪頼重。その頼重を亡き者にしたのは武田信玄公。
父の敵からの寵愛を一身に受け、側室になり、勝頼公(信玄公の後の武田家家督)を産んだ湖衣姫は心中穏やかでは無かったのでは?と思ってしまいます。
そして25歳の若さで労咳(現代の結核)を患い亡くなってるんだよね。
華やかなイメージが強いかもしれないけど、実に数奇な運命を辿った方だったんだ。
でもね。
湖衣姫の御霊が眠っている、この建福寺。
本当に空気が美味しく清々しく、周りの山々の景色も青々としていて実に素晴らしい。
良い所なんだ。
ココだったら、湖衣姫も生前あったかもしれない辛さや苦しさから解放されて眠っているかなと思い直したんだよね。
私、湖衣姫のお墓に出来るだけ清い心で手を合わせて参りました。
行ってよかった建福寺。
さぁ!
母ちゃん、オレやったるけん。
まずは「第45回信玄公祭り」の我らが内藤隊への多数の参加希望。
本当に本当にありがとうございました!
決定された方には既にエフエム富士スタッフからご連絡差し上げてると思います。
みんなで大いに盛り上がりましょう!!!!改めてありがとう!
そして只今、山梨県立博物館で開催中の
「武田二十四将 ~信玄を支えた家臣たちの姿~」
ドミンゴ、おしゃまに乱入して参りました!
フガフガ興奮状態で館内に入ると直ぐに・・・・・
出たぁ~~~~!!
信玄公に仕える武田二十四将のお姿が!
え~~~と・・えっと・・・・・・えと・・・いた!
内藤修理こと内藤昌秀!!!(寝てる)
でも何かメッチャ嬉しい。
館内を巡って行くと、実に沢山の様々な資料・遺物があってビックラ仰天。
でも、まずコレはみんなに見せたい。
一番最初にコーナーで勉強した「赤備え」の本物だ!
これら、約450年前のモノだから(復元じゃないと思う)大いに劣化してて当たり前
なんだけど、鎧が・・・・・小さいのよ!(縮んだか??)
イヤイヤ、やっぱ昔の人って栄養が充分行き届いてる現代人より小柄だったと思うよ。
でも、さすがに兜・鎧・甲冑揃うと、チビる程カッコいいね~~!!
ぐわ~~~ん。
ぐわわわ~~~~~ん!!!!!
今回の特別展はね、書状が圧倒的に多かったね。
昔は国と国の連絡は使者を遣わせて伝言させるか、書状を持って行かせるか、
どっちかだったみたいなんだよね。
以下の様な書状がワンサカ展示されてるよ。
当然これら全部直筆だかんな!
信玄公が、信繁が目の前のコレを戦国時代に書いてたんだよ。
凄くね?
約450年の時を経て、佐藤ドミンゴの目の前に鎮座ましましてる事に「奇跡」を感じるね。
よく当時の墨(だと思うけど)がこんな良い状態で保存されてるよなー。
これは有名な「甲陽軍鑑」の第八巻だ。
達筆過ぎますから!
細かすぎますから!!
日本人は昔から手先が器用だったんだね。
さて。
目先を変えて遺跡から発掘された戦国時代の生活用品の数々。
左は「杵」。これで昔の領民たちは農作物を潰して食べてたんだなぁ。
右は「おろし板」だよ。これって、もしかして現代の「大根おろし板」の超初代版だよね!?丸く打込まれてるのが何かは見えなかったけど、発想は現代人とそんなに遜色ないわい。昔の人はエライわい。
右の「しゃもじ」で飯をすくい、左の「椀」で食べていたのか・・・・。
それとも酒を喰らっていたのか・・・・・。
いずれにしても「器がデカい」!!
劣化してしまったが、こういうヤツで信玄公正室、三条夫人・寵愛を一身に浴びた湖衣姫も御髪を梳いていたんだろな。
信玄公は毎夜、どのオナゴの部屋で寛ぐか分からなかったのだから、女性たちも御身を磨くのに必死。言ってみれば「女の戦」が男の知らない所で繰り広げられていたんだな。
太刀が男の武器なら、この櫛が女の武器の一つだったかも。
さぁそれでは写真を「武将」に戻して参ろう。
武田信玄公の参謀と言えば当然、山本勘助公。
このお方、最初は駿河今川の側近で信玄公の元へ遣わされた「スパイ」の様な立場だったんだよね。それが徐々に信玄公に魅せられて行き、甲斐と和睦を結んだ駿河今川からも許された正式な武田家家臣となったんだ。
その後、信玄公が今川義元を葬るのにキーパーソンだったのが、奇しくもこの山本勘助。
戦国時代は己の主君が言う事は絶対。女々しいセンチメンタリズムは命取りだったんだ。
これが勘助が使っていたとされる太刀(たち)。もしくは剣。
昔の人は刀(かたな)とは言わなかったみたいだ。
さぁ、そして
キマした!
信玄公祭りの舞台となる上杉謙信との「川中島の合戦」を描いた大屏風がこの2枚。
左隻
右隻
まぁ~~これが実に細かく描かれている事!
左右合わせて何百人?か分からん武士達の中から色んな武田軍、あたくし
見つけましたよ!!
武田四重臣が一人、飯富三郎兵衛殿!(おぶ さぶろうびょうえ)
そして信玄公が武田晴信時代からの四重臣、甘利殿!
またまた飯富三郎兵衛殿、大活躍!!
そして海津城の城主であり、武田四天王の一人でもあった高坂弾正殿!(こうさか だんじょう)
あ!・・ウチのないとう・・・ナイトウ・・・・お~~~い、内藤~~~~・・・・・・
いたっ!!!
陣馬奉行の原殿と戦っておる。
いけぇぇぇぇ~~~~ぃぃぃっぃいいい!!!!
そして・・・・・・・
出たぁ~~~~~~!
信玄公と上杉謙信の太刀一騎打ち!!!!
そして、下の甲州軍団のぼりは山梨ではお馴染みだけどさ・・・・・
450年前から本当にあったのだ!
あと実はココに載せきれないくらい写真を撮ったのだが、止む無く割愛。
この2つの屏風から得も知れぬ迫力・只の紙の上の歴史上の出来事じゃない事を改めて実感。武者行列に向けて益々ふんどし締めてかからねば!
そしてメッチャ楽しんでやる。メッチャ楽しませてやる。
つーわけで取り敢えず、かがり火の前で鬼の形相。
そして・・・・
我ら内藤修理亮昌秀隊、いざ出陣じゃい!!!!
#私の突然の来館を快く迎えて下さった山梨県立博物館の海老沼学芸員様を始めとする皆様。そして「新甲州まぐろ味噌」からお久しぶりの植月学芸員様。手厚いご対応、誠にありがとうございました!
山梨県立博物館で開催中の「武田二十四将展」5月23日(月)まで堂々のロングラン展示です。興味のある方、是非。
って思ってる方、多いでしょ。これ正味な話が!
オレも甲府に移り住んで・・・・・もう4年目かな??
信玄公祭りはそりゃ前から知ってましたよ。
でも以前までは目の前で祭りが繰り広げられていても
「へぇ~~~~」
ってなもんで、チラ見して帰ってたもんね。
そういう方、山梨県内・甲府市内でも案外多いんじゃない?これ実際な話が!
でも、これだけは言えるわー。
ちょっと見たのと武者行列に参加するのとでは筆舌に尽くしがたい格差がありまする。
一言で言うと参加しないのは余りにも
「もったいない」
で、信玄公祭りの楽しさなんだけどね。例えば
・実際に本格的な武士の衣装を着られる。
これも良し。
・出陣式から加わり、経験した事の無い戦国時代にタイムスリップ感覚。
これもまた良し。
・普段見せられない勇ましい姿を家族・彼女・大切な人に見せたい。
これも素敵さ。
・お隣の見知らぬ人と一致団結。何だか嬉しい。
ある。ある。
・間違いなく沿道の方々が「カッコいい~~」という眼で見てくれます。
はい、これ最高!
などなど、色々あるのよ。
つまり戦国時代最強と謳われた武田軍団の一員として、武者行列する事に寄って得られる「楽しさ」。これ千差万別。でも自分の心の中に必ず何かが残る。
これが信玄公祭りの醍醐味かもしれませんよね。
どれほど楽しみ、吸収できるかはアナタ次第。
ま、そういうドミンゴも今回2回目。
しかし!誰よりも楽しみ、楽しませる所存です。
さぁ、参加締め切りはいよいよ明後日の金曜日18日まで!急ぎんしゃい。一緒に楽しもう!
みんなと行列出来る日をニヤニヤしながら待ってます。
先日、1988年に放送された大河ドラマ「武田信玄」全50話を完全鑑賞致しました。
誠持ってオモシロく且つ大変勉強になりました。
強く印象に残っているシーンは数多くあれど、ここで書き綴るとリスナーを一気に失くす大長文になるので控えますわ。
そして今朝、甲府駅前で改めて信玄公像をジックリ拝見致しました。
今まで特別な思い入れなど全く無く眺めていた親方様の像は、今のドミンゴには総てが違って見えました。
それまで「どこ見てるか分からん」と思っていた自分はアホですわ。
アホの権化ですわ。
どう見ても
「本陣に腰を据え、軍配を手に戦の戦況を見定めている厳しい顔つき」
にしか見えませんわな。
そして銅像の裏側にまで回り、細かい記述を読んでみると気付いた事が。
この「武田信玄公像」が建立されたのは昭和44年4月12日(信玄公命日)。
そして、佐藤ドミンゴの生年月日は昭和45年1月9日。
つーことは・・・・・
「武田信玄公像」と私、佐藤ドミンゴはナンと全くの同い年。同じ年数を生き抜いております!!
そして振り返れば、ドミンゴ毎年真夏の韮崎で行われる「武田陣没将士供養会」(戦国時代、戦で亡くなった武田軍団の何万という兵士たちの御霊を供養する儀式)の生ナレーションを2年連続で担当させて頂いております!
そして!去年「三条夫人隊」での記念撮影の後ろに写りしは今年大役を仰せつかった「内藤修理亮昌秀隊」!!(去年参加したリスナーが送ってくれました。ありがとう!)
これを運命(さだめ)と言わずして何と語り尽くせましょうや・・・・・。
オレ、マジで前世、内藤昌秀だったんじゃなかろか。
母ちゃん、オレやったるけん。