行って参りました!2
さぁ信玄公祭りまで、あと12日。
いよいよカウントダウンだわさ。
武田信玄公は戦国時代、甲斐の他に信濃(現在の長野県)を分国として平定していたんだよね。それも諏訪には非常に関わり合いが深かった。
つーわけで行って参りました。
諏訪大社!!!
堂々の鳥居でございます。マイナスイオン出まくり。気持ち良かった。
お堂。
この縄のブッとさ。
これは「大注連縄」と呼ばれていて重量は約1トン!
お堂。
「第45回信玄公祭り」の大成功と内藤昌秀隊の「勝ち戦」を祈願して参りました。
本来なら武田神社で買うべき?かも分かんないけど、何か「ご縁」を勝手に感じまして
お守り購入。
そして!「諏訪」「武田信玄公」と言えば、勿論あの御方。
そこで私、行って参りました。
湖衣姫のお墓に!!!
長野県伊那市高遠にある建福寺は小さな商店街の中にいきなり、この様な立派な階段が
現れます。これを登り切ると・・・・・
ズデーーン!!と立派なコヤツが。
ドミ。
奥に進んで行くと、後ろの沢山のお墓たちを従える様に3つのお墓が。
この一番右端が・・・・
正真正銘、湖衣姫眠りしお墓であります。
しかし、このお寺には誰もいなく、お墓も悲しい位ひっそりと佇んでおり、周りは苔だらけでした。正直、天下の武田信玄公が深く愛した女性のお墓だとは・・・・。
そして誰かが頻繁にお参りしているとは思えません。
ボクはね、正直このお墓から「寂しさ」しか感じなかったよね。
湖衣姫のお墓と言うと小坂観音院だと勘違いされている方が多いようです。
(実際、諏訪神社の巫女さんも間違っていました)
小坂観音院にあるのは湖衣姫の供養塔で、お墓は建福寺なんだよね。
湖衣姫の父上は諏訪頼重。その頼重を亡き者にしたのは武田信玄公。
父の敵からの寵愛を一身に受け、側室になり、勝頼公(信玄公の後の武田家家督)を産んだ湖衣姫は心中穏やかでは無かったのでは?と思ってしまいます。
そして25歳の若さで労咳(現代の結核)を患い亡くなってるんだよね。
華やかなイメージが強いかもしれないけど、実に数奇な運命を辿った方だったんだ。
でもね。
湖衣姫の御霊が眠っている、この建福寺。
本当に空気が美味しく清々しく、周りの山々の景色も青々としていて実に素晴らしい。
良い所なんだ。
ココだったら、湖衣姫も生前あったかもしれない辛さや苦しさから解放されて眠っているかなと思い直したんだよね。
私、湖衣姫のお墓に出来るだけ清い心で手を合わせて参りました。
行ってよかった建福寺。
さぁ!
母ちゃん、オレやったるけん。