« とうとう募集開始!! | メイン | 今日のゲスト! »

2016年3月10日 (木)

ところで〝内藤修理亮昌秀″ってだぁれ?

おいっす。ドミンゴ。

さぁ、YES!MORNING金曜日DJ森雄一さんの副大将としての参戦も決まり、本番信玄公祭りまで大いに盛り上がって参りました。

しっかーし!

佐藤ドミンゴ演じる「内藤修理亮昌秀(ないとう しゅりのすけ まさひで)」がどんな武将だったか知らない人の方が多いでしょ。

そっこーで!

私ドミンゴ自らが内藤修理亮昌秀について説明するわ。

生まれたのは大永2年(1522年)。

武田信虎(信玄公の父上ね)の重臣・工藤虎豊の次男としてこの世に誕生したんだ。

のちに内藤性を名乗り、山県・馬場・高坂と共に武田四天王の一人になる。

越後の上杉謙信と武田信玄公が激闘を繰り広げた「川中島の戦い」(第4次)では上杉軍の背後を襲う妻女山別働隊の大将として活躍したんだね。

因みに今年で第45回を数える信玄公祭りの武者行列は謙信との一大決戦となった、この4回目の川中島の戦いへ赴く前の武田軍団の様子を再現しているんだよ。

じゃぁ内藤昌秀が具体的にどのような戦国武将だったか?

戦での戦略構想に長け、武田信繁(信玄公の弟)と共に武田の副将格だった昌秀。

『甲陽軍鑑』の中で山県昌景(昌秀を含む武田四天王の一人)が「典厩信繁と内藤修理亮こそが真の副将」と言っているんだ。つまり仲間からの信頼がハンパ無く厚かったんだね。

昌秀は信玄公の代表的な戦全てに参加して、常に大活躍していたんだけど、信玄公からは一度として感状(褒美)をもらうことが無かったんだって。

何故なら信玄公曰く「修理亮ほどの弓取りともなれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」(~常人であらず。これ然るべし~!!)と評したからこそ敢えて一通の感状も出さなかったんだって。

じゃぁ昌秀は親方様のこの言動が不服ではなかったのか?

一方の昌秀も「合戦は大将の軍配に従ってこそ勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなことよ」と感状を貰っていないことなど気にもかけなかったんだと。これは信玄公と昌秀の信頼関係の厚さを示すものであるよね。

「個人の武功」よりも「軍中全体」を重視できる人物だったようですよ。

そして信玄公亡き後も家督を継いだ武田勝頼公の家臣となったが、長篠の戦で討ち死。

武田四天王の一人としての役目を十二分に果たして、天に召されたんだね。

つまり、内藤修理亮昌秀とはメチャメチャ頭が良くて・強くて・優しくて・とにかく器のデカい男だったのであります!!!

お母ちゃん、オレやったるけん。

そして明日3月11日金曜日の「YES!MORNING」エンディング(午前9時45分頃~)で大将・佐藤ドミンゴと副将・森雄一が会する事が大決定!!!FM-FUJI軍団として信玄公祭りへの秘策を練りまくります。耳かっぽじって聴いて!!!

お母ちゃん、オレやったるけん。