江戸時代に城下町だったエリアを歩いている今月。
商人の街だったあたりを、今週も歩いていますが、
今回は、このあたりに住んでいた職人にゆかりのある
あたりを歩いています。
今回も、甲府市教育委員会の金子誠司さんに
お話を伺います。
なぜブランコに乗っているのでしょうか…
先月も滑り台で写真を撮りましたが、
ちょっと変な写真を撮るのも楽しいものです。
ここは、金山神社です。
甲府市中央にありますが、ぱっと見た感じでは、
ここに神社があるとは、ちょっと分かりづらい場所にあります。
中華料理の蓬莱軒の向かいというか、
お茶の春木屋さんの数件隣と言いますか、
私も、何度もこの前は通っていたのですが、
気が付かなかった!
江戸時代、甲府にはさまざま職人がいました。
武田家は、国経営のために様々な業種の人々を支配下に
置いていました。
刀剣生産に関わる職人、
木工品をつくる職人、建具を専門にする職人などです。
江戸時代でも、このような仕事は、
新しい甲府城下の建築に携わっていました。
職人には、お城に携わる御用職人と、
御用を務めない平職人がいたそうですが、
甲府城の建築がひと段落すると、御用職人は暇になったようですよ。
御用職人は、甲府城の掃除人足役に命じられましたが、やはり職人。
プライドがあり、なかなかその仕事を受け入れられなかったそうです。
職人の歴史を振り返りましたが、
いま、私たちがいるのが、職人との縁がある、金山神社です。
祭神は金山彦命という鉱山の神で、鉄を扱う鍛冶屋の信仰です。
このあたりは、鍛冶町と呼ばれていたそうです。
正月の仕事始めの時には、鍛冶町の職人が鉈や鎌などの雛形を奉納しました。
奉納するまでその雛形は、仕事場の柱に打ち付けておいたそうです。
戦前までの鍛冶町は、そこかしこから、槌を打つ音が「トンテンカン」と
響いていたといわれています。
いまは、静かで、子どもも安心して遊べる公園と
一緒になっている金山神社。
当時と街の様子は変わっているかもしれませんが、
いまでも、ここで暮らしている人に愛されている場所だなと思いました。
また来週も、てくてくします。