7月は、昇仙峡をご紹介します。
甲府駅から車で20分ほどの場所に
こんな風光明媚な場所があるなんて。
いいですね。
今回も、甲府市教育委員会の金子誠司さんに
お話を伺いました。
昇仙峡は、荒川の浸食作用によってできたものです。
花崗岩が地層を貫通し急激な隆起により南側との落差が生じました。
そして、今も地形が動いているそうですよー。
大きな岩のひとつひとつを眺めていても驚きます。
昇仙峡が知られるようになったのは、江戸時代。
長田円右衛門による御岳新道の開削がきっかけです。
明治期には、観光地としての整備が整ってきます。
昭和になると、道路の改修も進み、
バスが入ると共に、東京からの日帰りも可能になったそうです。
このあたりから、今の私たちと同じような楽しみ方をしていたのかも
しれませんね。
そして、昭和26年には、昇仙峡を訪れる人は、
1年で82万人まで達したそうです。
ただ、このころは、バスの往来がかなりひどく
近隣住民の方は、被害を被ってしまったそうです。
その後、こういった問題も解決され、
今に至るようになりました。
それにしても、荒川の水音と、目に眩しい緑と、
目を見張るような岩肌。
まだ昇仙峡の入り口にいますが、ここにいるだけでも、
目を見張るものがありました。
さて「昇仙峡」の「昇仙」という名前ですが、
これが登場するのは、明治期に入ってからだそうです。
それまでは、「御岳」「御岳新道」などと呼ばれていました。
「昇仙」という言葉、仙人が住む世界へ上がっていくような清浄な場所
というイメージで名づけられたようですよ。
中国の水墨画などに描かれる世界も、想像できるような場所ですし、
仙人が出てきても、不思議ではないなと感じました。
まずは、歴史が分かりましたので、
来週からは、散策を進めて、昇仙峡をもっと知りたいと思います。
また来週も、てくてくします。