今月からの3か月間は
江戸時代に城下町だったエリアをご紹介していきます。
詳しいお話を、甲府市教育委員会 歴史文化財課の
金子誠司さんに伺いました。
金子さん、いつも、甲府の歴史について、
詳しく教えてくださいます。
こちらは、甲府の街を一望できる、舞鶴城公園。
ここからの景色、私は、
初めて甲府に来た時にじっくりと眺めていました。
今は、県庁や飲食店などが並ぶ甲府の街。
昔は、どんな感じだったんでしょうね。
武田氏滅亡のあと、甲府の街は支配者が
次々と変わっています。
関ケ原の戦いの後は、徳川氏の支配となります。
街の建設は、武田氏滅亡のあとにやって来た、
代々の支配者によって行われていきました。
その後、徳川支配の時代も進められていきましたが、
度重なる天災、そして飢饉など、何度も困難と直面します。
例えば、宝永8年(1680年)から、天和2年(1682年)までの大飢饉。
元禄13年(1700年)の大飢饉や、元禄16年(1703年)の元禄地震など。
財政も厳しかったようで、幕府からも借用があったそうです。
困難を極めていましたが、その後、ご存じのように、
柳沢吉保・吉里の柳沢家による二代統治が行われました。
この頃、甲府城と城下町の再整備が行われています。
再整備の中には、町の規模を拡大していきまして、
甲府は建築ラッシュになったそうです。
建設だけではなく、町名の変更や、町人の家を茅葺屋根禁止など、
さまざまなことが行われました。
さて、今月は更に、甲府の街の歴史を詳しく探っていきます!
また来週も、てくてくします。