昇仙峡を巡っている、今月の「てくてくこうふ」
今回は、昇仙峡が知られるきっかけになった、
長田円右衛門について甲府市教育委員会の金子誠司さんに、
引き続きお話を聞いていきます。
なんかポーズがシンクロしていますね…笑
金子さんは、本当にたくさんのことをご存じ。
お話を伺いながら、景色を見ると更に興味深くなります。
さて、長田円右衛門。
彼が、昇仙峡を広めるきっかけを作った、
御岳新道(みたけしんどう)を掘削した人物です。
御岳新道は、江戸時代にこの周辺にあった猪狩村の
交通問題に端を発したものです。
甲府城下へ木工品などを売りに行ったり、
塩を米などを買いに行ったりするために、
この村の人たちは、荒川沿いの山を越えなければいけませんでした。
確かに、この大自然の中、生活道路を確保するのは
大変だったでしょうね。
工事は困難を極めましたが、無事に完成。
それまでには、長田円衛門と村人との意見の食い違いなどもあり、
円右衛門が自ら道を拓くこともあるなど、さまざまな出来事が
あったようです。
無事に道が出来ると、今までは山影で見えなかった
渓谷の全貌が明らかになる、という副産物がありました。
それが、今の昇仙峡につながっているというわけです。
円右衛門は、ここの宣伝活動も熱心に行い、
金桜神社の宮司や、幕府の役人に
景勝スポットや、珍しい石に名前をつけてもらいました。
今でいう、観光PRといった感じですね。
しかも、博学な人たちから、知的な名前をつけてもらうと
更に、観光地としての価値も上がりそうですねぇ。
円右衛門は、いま碑が立っている場所の近くに小屋を建て、
寝起きをして、わらじなども売っていたそうです。
ここ、荒川の水音も聞こえますし、木々が陰を作ってくれて、
とても気持ち良い場所でしたよ。
お話を伺っていると、円右衛門は、優れたビジネスマンであり、
江戸時代の名プロデューサーだったんだろうなと思いました。
ただ、円右衛門、昇仙峡に没頭しすぎて、
家庭のことは、ちょっと難点ありみたいですね。
奥さんは、怒って家を出てしまったそうです。
あらら…
さて、来週も昇仙峡エリアのお話です。
また来週もてくてくします。