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2017年7月13日 (木)

7月16日放送 第十一回は 宮沢賢治 作『よだかの星』

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『 パナホーム山梨 presents SUNSET THEATER 』

ご案内役の 小川もこ です。 

毎週、日曜日の17:30~18:00 FM FUJIにてオンエアー
サンセットタイムにお届けする この番組は、
私、小川もこ が 日本文学の名作をセレクトし 朗読させていただきます。

第十一回放送は7月16日。今回 取り上げるのは、
宮沢賢治が書きました、「夜だかの星です。

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宮沢 賢治(みやざわ けんじ)は、1896年、岩手県稗貫郡里川口村(現在の花巻市)に生まれ、
1933年に急性肺炎のため 37歳で亡くなった、詩人であり童話作家です。

仏教を信仰し、農民生活に根ざした創作を行いました。
賢治の生前は、そのの作品はほとんど知られることはありませんでしたが、亡くなってから、広く名を知られ、国民的作家となっていきます。

盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)時代の1917年(大正6年)学友の保阪嘉内らと同人誌『アザリア』創刊、そこで短歌などを発表しましたが、
生前に彼の作品として発刊されたのは、1924年(大正13年)に自費出版の詩集『心象スケッチ 春と修羅』と、
童話集『注文の多い料理店』だけでした。

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今回 朗読する「よだかの星」は、 1921年頃に書かれ、賢治が亡くなった翌年(1934年)に発表された作品です。
国語の教科書にも採用された 有名な物語ですが、単に、弱い者いじめや 外見の美醜によって人を判断することの愚かさを訴えるだけでなく、賢治の仏教思想が垣間見え、「自己の存在への罪悪感」「自己犠牲」「転生」などもあって、大人の鑑賞に相応しい作品かもしれません。


ところで。宮沢賢治が書いた冒頭に

「よだかは、実にみにくい鳥です。
顔は、ところどころ、味噌みそをつけたようにまだらで、
くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。」

とあるので、で。「よだか」って、どんな鳥なんだろう?と、調べてみました。

ヨタカ:鳥綱ヨタカ目ヨタカ科ヨタカ属に分類される鳥類。
全長29センチメートル。全身の羽衣は暗褐色や褐色で、黒褐色や褐色、赤褐色、薄灰色などの複雑な斑紋が入る。この体色は樹上や落ち葉の上では保護色になると考えられている。翼は大型で先端は尖る。

頭部は大型で扁平。虹彩は暗褐色。口は大型だが、嘴は小型で幅広い。

1771 ごま塩状の羽は、樹木や落ち葉への擬態のためなんでしょうね。
(写真:ケンさんの探鳥記 より)

133e1460792892345 この変顔な子は、日本にはおらず、中南米に生息する「タチヨタカ」。
ひょうきんで、可愛いですよね。
(写真:labaq.com より)


あなたのご感想をお待ちしています。

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日曜日の午後。17:30~18:00 FM FUJIにてオンエアー。

東京や関東近郊の皆様は78.6MHz、甲府は83.0MHzにチューニングして、
その他 全国の皆様は、LISMO WAVEや radiko.jpプレミアムでお楽しみくださいね〜♪

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【 追記 】
頂戴したご感想の一部を掲載させていただきます。

なまけ☆たろう さんから:
今日のサンセットシアター宮沢賢治『よだかの星』
私にとって初めての作品でした。
宮沢賢治は『注文の多い料理店』くらいしか読んだことがなかったので楽しみにしていました!
しかし...なぜ 外見だけが理由で こんなにもとことん嫌われなくちゃいけねいのか?
疑問だらけで ずっと聴いていました。
優しい気持ちでしたことも裏目にとられ、聴いている途中から、人間社会、身近な人間関係に置き換えて聴いてしまっていました。
『孤高』に生きた よだか。
話の中で、鳥同士の会話なのに「人格」という言葉があり、その表現に違和感がありました。
よだかを通じて、もしかしたら、宮沢賢治も なにか自分自身の孤独を表現したかったのかなと思いました。
毎晩 夜空を見上げています。今夜から「よだかの星」を探してみようと思います。
もこさん、今夜も ありがとうございました。(*^_^*)


タケゴンさんから:
 あからさまな感想は難しいです。
私の心の醜さも 晒さなければいけないので...
 江戸時代のお話が何度かあったので、これも江戸時代の夜のお話かと思いましたが、本当の鳥のお話でした。
 美しいものと そうでないものがあれば、美しいものに惹かれるのは 自然の摂理だと思います。
(よいDNAを残す観点から そのようになっている。と、文春に連載されていたエッセイで読んだ)
 では、美しくないモノと どうつきあうのか。
ですが、つきあいたくないと思うのも、おそらくは自然の摂理なんだと思います。

 昔は「恐いもの見たさ」が普通にあって、お祭りでは「見世物小屋」がありました。
アルチンボルド展にも展示されていたけれど、多毛症の人を慰みものとして見ていたりしたようですね。
しかし、今は「優しさ」が一般に浸透して、
そういうことは「いけないこと」という概念が固まりつつあるように思います。
 タケゴン自身も正直なところ、
「恐いものを見てみたい」けれど「醜いモノとは近づきたくない」と思う心がありました。
しかし、介護の勉強をしたときに、
いろんな人がいるけれど、「それは個性なのだ」ということを学習してからは
偏見が少し是正されたように感じています。
 明治の時代に「醜いモノ」の心に焦点をあてた文学に
「わたしの心の醜いウロコ」が剥がされる感触を味わいつつ聴きました。