2019年9月14日 (土)

9月14日は 甲府を知る~甲府城の変遷とは?~

ここをクリックすると番組を聴くことができます。

今月からの3か月間は、
江戸時代に城下町だったエリアをご紹介していきます。
先週に引き続き、舞鶴城公園にいます。

柳沢親子によって、江戸時代に再整備された甲府城ですが、
現在のように公園として整備されるまで、
どのような道のりを辿っていったのでしょうか?

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今回も、甲府市 教育委員会 歴史文化財課の
金子誠司さんに、お話を伺います。

柳沢吉保・吉里親子は、城内の石垣・門・塀・土手などの
改修を行いました。
その後、本丸御殿などの改築を行いましたが、
六義園や江戸屋敷を担当した大工・絵師など、
一流の人物が甲府城に携わっています。

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さて、時代が下り、明治維新の時代になると、
明治新政府の官軍に加わっていた土佐・因幡・諏訪藩などの兵が
甲府に入り、そのときの甲府城代佐藤信崇と甲府代官中山誠一郎は
直ちに彼らと話し合い、甲府城を引き渡しました。

いわゆる無血開城ですが、
実際には、かなりの混乱があったそうで…

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甲府勤番士は城中からの立ち退き命令が出て、
郭内の与力・同心までもが退去の支度を始め、
家財道具はもちろん、建物の床板まで引き剥がし運び出し、
その日のうちに、甲府城は、空っぽになってしまったそうです。

どうやら、聞き間違いが原因だったそうですよ…

さて、甲府城は、近隣の村や人すべてに、自由に見学させるように
なりましたが、実はこれには噂がありました。

「あまりに早く勤番士が城内から立ち退いたので、
地雷でも仕掛けてあるのではと官軍側が心配になり、
確かめるために自由に見物させたのでは」というものです。

なんだかちょっと物騒な感じですね。

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その後、甲府城は明治5年に、陸軍省の管轄になり、
明治9年には勧業試験場(農業試験場)、
翌年には勧業試験場の葡萄酒醸造所が設置されます。

ここに、山梨の葡萄づくりの片鱗が見えてきます。

江戸時代は、一般の人は、入れなかった甲府城。
時代を経て、さまざまは役割を果たし、
今では、みんなの憩いの場になったのですね。

今月は、更に詳しくお話を伺っていきます。
また来週も、てくてくします。