2019年7月20日 (土)

7月20日は長田円右衛門について

ここをクリックすると番組を聴くことができます。

昇仙峡を巡っている、今月の「てくてくこうふ」

今回は、昇仙峡が知られるきっかけになった、
長田円右衛門について甲府市教育委員会の金子誠司さんに、
引き続きお話を聞いていきます。

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なんかポーズがシンクロしていますね…笑
金子さんは、本当にたくさんのことをご存じ。
お話を伺いながら、景色を見ると更に興味深くなります。

さて、長田円右衛門。
彼が、昇仙峡を広めるきっかけを作った、
御岳新道(みたけしんどう)を掘削した人物です。

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御岳新道は、江戸時代にこの周辺にあった猪狩村の
交通問題に端を発したものです。
甲府城下へ木工品などを売りに行ったり、
塩を米などを買いに行ったりするために、
この村の人たちは、荒川沿いの山を越えなければいけませんでした。

確かに、この大自然の中、生活道路を確保するのは
大変だったでしょうね。

工事は困難を極めましたが、無事に完成。
それまでには、長田円衛門と村人との意見の食い違いなどもあり、
円右衛門が自ら道を拓くこともあるなど、さまざまな出来事が
あったようです。

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無事に道が出来ると、今までは山影で見えなかった
渓谷の全貌が明らかになる、という副産物がありました。
それが、今の昇仙峡につながっているというわけです。

円右衛門は、ここの宣伝活動も熱心に行い、
金桜神社の宮司や、幕府の役人に
景勝スポットや、珍しい石に名前をつけてもらいました。

今でいう、観光PRといった感じですね。
しかも、博学な人たちから、知的な名前をつけてもらうと
更に、観光地としての価値も上がりそうですねぇ。

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円右衛門は、いま碑が立っている場所の近くに小屋を建て、
寝起きをして、わらじなども売っていたそうです。
ここ、荒川の水音も聞こえますし、木々が陰を作ってくれて、
とても気持ち良い場所でしたよ。

お話を伺っていると、円右衛門は、優れたビジネスマンであり、
江戸時代の名プロデューサーだったんだろうなと思いました。

ただ、円右衛門、昇仙峡に没頭しすぎて、
家庭のことは、ちょっと難点ありみたいですね。
奥さんは、怒って家を出てしまったそうです。

あらら…

さて、来週も昇仙峡エリアのお話です。
また来週もてくてくします。