今日は以前から紹介したいと思っていた
Harold Melvin &The Blue Notesのベスト・アルバムを聴いてもらいました。
フィリー・ソウルを代表するグループで、そのレパートリーは
ソウル、R&B、ドゥー・ワップそしてディスコ・ミュージックと幅広く、
その楽曲が最も多くカバーされたフィリー・ソウル・グループと言われています。
元々は1950年台初頭に、ペンシルベニア州フィラデルフィアで
ハロルド・メルヴィンを中心として結成されたグループ「ザ・チャルマネーズ」が
母体となり、1954年ザ・ブルーノーツとして活動開始。
当時のメンバーは、
リードVo.のハロルド・メルヴィン、バーナード・ウィリアム、ルーズヴェルト・ブロディ-、
ジェシー・ギルズJr.そしてフランクリン・ピーカーの5人。
その後、1970年に最初はバックバンドのメンバーとして、
元ザ・キャデラックのテディ・ペンダーグラスがDr.として加入、
しかし、そのセクシーな歌声ですぐにリード・シンガーとして迎えられ、
1972年、かの名プロデューサー「ギャンブル&ハフ」の率いる
フィラデルフィア・インターナショナル・レーベルと契約。
グループ名もハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツとなり、
ハロルド・メルヴィン以下メンバーはテディ・ペンダーグラス、
バーナード・ウィルソン、ローレンス・ブラウン、ロイド・パークスの
新体制で数多くのミリオン・セラーを生み出すことになります。
参考までにチャンス」があれば聴いてみて欲しいメモリアル・ナンバーetc.
シンプリー・レッドのカバーでお馴染みの大ヒット曲
「If You Don't Know Me By Now」(1972年 R&Bチャート1位・POPSチャート3位)
「I Miss You」 (1972年R&Bチャート7位・POPSチャート58位)
「The Love I Lost」 (1973年 R&Bチャート1位・POPSチャート3位)
「Wake Up Everybody」 (1975年R&Bチャート1位・POPSチャート12位)
「Bad Luck」 (1975年 R&Bチャート4位・POPSチャート15位)
*「Bad Luck」はビルボードのHot Dance Club Songs Chartでも、
11週連続で1位を獲得するなど、ロングラン作品となった。
その他、75年にリリースし、4枚目のR&Bチャート1位シングルとなった
「Hope That We Can Be Together Soon」は、
74年加入した女性ヴォーカリスト「シャロン・ペイジ」をフィーチャーしたもの。
1976年にテルマ・ヒューストンによってのカバーされた
「Don't Leave Me This Way」は、ポップスチャートで1位を獲得。
「Wake Up Everybody」のアルバム・ヴァージョンは
アメリカではシングル・カットされなかったが、
77年にイギリスで発売され、UKチャートで5位に入り、
アメリカでも2年後に12インチシングルとしてリリースされた。
「Harold Melvin &The Blue Notes」はギャンブル&ハフとのコンビで、
4枚のアルバムを製作し、それら全てがゴールド・ディスクとなっています。
ただ、正に、絶頂期だった’76年、T.ペンダーグラスがギャランティに
対する不満から脱退するなどメンバーの入れ替わり続いた。
因みに、T.ペンダーグラスは脱退後、77年から80年までに
リリースしたアルバムが全てミリオン・セラーとなり、
ソロ・シンガーとして大成功を収めた。
一方、H.メルヴィンは、1996年脳梗塞で倒れるまでブルー・ノーツ としての
活動を続け、定期的に作品もリリースし続けたが、
1997年3月24日、57歳という若さで帰らぬ人となった。
なおハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツは、
シンプリー・レッド、デヴィッド・ラフィン、そしてジョン・レジェンドなど
多くのビッグ・ネーム達にカバーされています。