森雄一の週一エッセイ 第14回「けんか」
「けんか」と聞いて、あなたがまず想像するのはどんなけんかだろう。大きく
分けると2つだろうか。口論か殴り合いか。人同士、人と動物、人と自然で
さえ、対立して争いになったりするわけで、国が変わっても同じなのであろう。
けんかは漢字で「喧嘩」となり、それほど難しくはない。偏を見ると「口」で
あることが分かる。けんかは口でするものだからなのか。口げんかが前提の
漢字ならば、すべてのけんかは口だけで済ませてほしいものだ。
我が家の長男14歳、長女10歳、絶賛兄妹げんか強化中である(笑)。本当に
よくけんかするのだ。九割方口げんかなのは言うまでもない。手足を出すのは
妹の方で、悔しいから力任せに兄貴の背中を蹴り、叩く。音はでかいし、長男の
イテっ!という言葉からかなりの痛みを感じているはずだ。でも、決して長男は
手出しをしない。これは見上げたものだと思っている。しかし、仏の顔も三度
まで、限界を超えると「叫ぶ」。
私だって見覚えがあるさ。ぶつけようのない怒り、ストレス。それが暴言に
なったり、暴力になったり、反抗期とはそういうものだ。反抗期とけんかは
同期してほしくないが、当事者からすれば「うるせえ」の一言だ。
幼児のけんかはほほえましいもので、いやなことをされると、「や~め~て~」
と棒読みで相手に言い、「ご~めんね~」と言葉尻を上げて、それに応える。
最後は「い~い~よ~」となって解決するのが大まかな流れだ。前回の「謝」の
話しではないが、謝るという行為は人の心を射抜くのだ。大人の世界では、
これに土下座を強要したり、謝罪の様子を撮影し拡散するという、卑劣な技を
加えて事態をややこしくする。我が子の兄妹げんかを見ていると、これ以上
エスカレートしないでほしいと願うばかりである。
考えてみれば、けんかは二人いて初めて成立するものだ。夫婦、兄弟姉妹、
親戚など、身内のけんかは日常茶飯事。近い間柄だから仕方がないとも言える。
また、けんかするほど仲がいいと言うように、身内だと修復しやすいのも事実。
でも、誰よりも近くにいる家族にでも、打ち明けられない悩みはあるものだ。
これがきっかけでけんかになると迷惑がかかる、というのが理由だろうか。
相手の非を責めるのはなぜか?
自分の非を指摘され激高するのはなぜだろう?
「こいつならわかってくれる」
「そんなこと言ってくれるのはお前だけだ」
家族以上に理解を示してくれる友人や恋人はいるだろうか。もしかして、
その相手とけんかした過去がないか?口論は、互いの主張をぶつけ合ってこそ
起こりうるもので、妥協点が見いだせたら距離がさらに縮まるのかもしれない。
けんかまではいかないが、酒を飲みかわし言い合いをする友人はいる。正直、
彼に対しては何でも話せる。高校からの付き合いだから、かれこれ35年くらい。
高校、大学と一緒にバンド活動をしていた。彼は、私の悪いところ、いいところ、
全部知っている。私も彼のあらゆることを知っているつもりだ。こういう人が
妻になるといいのかもしれない。まあ、男だけど。
あ、バンドとけんかで思い出した。ビートルズのジョンとポールも仲違いして
いたなあ。けんかするほど仲が良かったんだよね。バンド内の仲違いはきっと
そうなんだ。ビートルズのケースと同じなんだよ。うちの息子と娘もそう。
と、拡大解釈してみる。