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2019年5月30日 (木)

森雄一の週一エッセイ 第5回「老いる、ということ」

フリーアナウンサー・近藤サトさんがグレイヘアをカミングアウトし、
モテ期になっているという。歳をとると、体を覆う毛は抜け落ちるか、
白髪になるか、どちらかになる。髪の毛だけではない。この私も今年
50歳になり、鏡を見るとずいぶん白髪が増えたものだと感じる。

最初にグレイヘアと書いたものの、直後に白髪としている。「しらが」、
「はくはつ」とも読む。辞書によると、同じ意味で同じ漢字。
「しらが」は口語体で、かつ、年を重ねてなるべくしてなったものと
いう印象。一方「はくはつ」は文語体で、他人のものを表現する言葉
のように思える。いずれも、頭髪を指すことが多い。むしろ、頭髪に
使う表現だと思っている。

しかしどうだろう、胸毛にわき毛、すね毛、まつ毛、腕毛、陰毛等々、
毛は一般的に外敵から身を守るためにあると聞くが、当然、そこは
敏感だったり、弱かったりするわけだ。頭はもちろん、わきの下とか、
下腹部、確かに突かれると痛い。そんなところを守ってくれて、我が
毛ながらありがとうと改めて伝えたい。しかし、だ。

そんな「毛」が白髪になるということは、守ってくれる力が衰えている
のではないか。毛にも一生がある、なんて言われて納得できるか?
私は認めたくない。一生守ってくれるはずだったでしょ!

そんな約束、いつ、誰がしたのだ。と、私の細胞の一部がぼやいている。

一方で、黒い毛が白くなるのは老化ではない、むしろ格好良く変化
しているのだと、そんな声も聞こえてくる。近藤サトさんのくだんの件だ。
毛が抜け落ちていくのではなく、そのままの髪型でいることができ、
ただ色が変わっただけなのだ。なぜ、女性は今まで主張しなかったの
だろう。そうか、近藤サトさんがおやりになったことは、相当勇気のいる
ことだったに違いない。自分の一番隠したい、弱い部分、と思っていた
ものが、実は最強の存在感を示してしまったということだ。彼女の最近の
活躍ぶりを見る限り、同業者として嫉妬してしまうくらいのものがある。

ところで、日本語で白と言っているのに、英語ではグレイ(灰色)となる
のはなぜだろう。灰色という表現も気になるところだ。私が子どもの頃は
グレイという言葉は一般的ではなかったと思う。灰色といえばネズミ。
ネズミ=ドブネズミ。つまり、灰色は数字の「4」のように、忌み嫌われる
存在なのだろうか。やはり子どもの頃のことだが、絵の具で象を描いたり
舗装された道路を塗ろうとすると灰色が必要だった。しかし、絵の具に
灰色がなったので、黒と白を混ぜて灰色を作っていた。これはあなたも
経験があるだろう。近藤サトさんのグレイヘアは、まさにこれだ。黒髪、
白髪ともにあり、総合ではグレイヘア。このバランスがいいのであろう。

日本にはロマンスグレイ(ー)という表現もある。響きの良さから、キュンと
なる女性は多いらしい。では、女性にもこの言葉は当てはまるのだろうか。
ロマンスグレイ(ー)の女性。それに魅せられる男性たち・・・・
そういえば、オグリキャップという競走馬がいたのを覚えているだろうか。
他にもタマモクロス、ビワハヤヒデ、メジロマックイーン、これらの馬の
共通点が毛色だ。芦毛(あしげ)といって、見た目は灰色である。地味。
でも、彼らは歴史に名を残す名馬だ。地味=ひかえめ=奥ゆかしい。
なのに、いざ、脱いだらすげえ!日本人はこういうのが好きである。

2週前に鼻毛を題材にしたエッセイをアップした。その鼻毛、こいつも
白くなりやがる。抜くのは痛い、しかし、根元から切っても次から次へと
生えてくる。同じことが眉毛にも言えるのだ。抜くか、切るか。こればかりは、
近藤サトさんのように「Let It Go」させてもプラスにはならないだろう。
いや、そう思い込んでいることが、実は間違いなのかもしれないのか。
しかし、仮に鼻毛や眉毛のグレイヘアをカミングアウトしてニュースに
なったとしても、私はまったく嬉しくない。だから、そんなことはしない・・・
たぶん。老いることは自然なことだ。それに従うも、抗うも、結局は自分に
正直になるのが一番いいのであろう。ちなみに、私は大学生の時から、
頭髪に白髪がデビューし始めている。そして、私の父親方森家は代々、
頭のてっぺんは薄い人が多い。

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