森雄一の週一エッセイ 第7回「あめの季節でございます」
日本語は、時に世界一難しい言語と言われる。では、使っている我らは
世界一頭がいい民族なのか?そうだったらいいのだが、国語という教科が
あるのだから、使いながら我らも一生勉強しなければならないのである。
ラジオでしゃべり始めて知ったのは、書き言葉と読み言葉を使い分ける
必要があることだった。聴感上、違和感のないようにするための工夫でも
あると思う。新聞や雑誌に「日本の首相」と書いてあっても、われらは総理、
総理大臣と言い直している。約はおよそ、ゼロはレーなど、いろいろあって、
国語の授業で習わないような日本語のルールがあるのだ。だいたい、
国語辞典以外に、ことわざ辞典とか、アクセント辞典なんてラインアップが
あるのは日本語くらいじゃないか。
さて、タイトルにある「あめの季節」だが、当然ここは「雨」となる。まさか
「飴の季節」と思われたか?お子さんが欲すればそれもよかろう。でも、
大人が考えれば「雨の季節」になることを願いたい。雨、飴のように、
同じ響きでも、言葉には複数の意味を有する場合が多い。この例を
ご覧いただきたい。
「階段」には気を付けて。
「怪談」には気を付けて(笑)。
「会談」には気を付けて(俺は大統領か)。
字面を見れば明らかでも耳から入ってくる情報の場合、一呼吸置きたい
ところだ。それはいったい、どんな「かいだん」ですか、と。
大学時代にアメリカ・シカゴに10カ月ほど留学した。そこで日本語を
教える授業があり、アメリカ人の教授から助手を務めてほしいと依頼が
あった。3か月ほど担当させていただき非常に有意義な時間を過ごす
ことができた。夜間のクラスだったので学校の生徒以外に、地域の人も
学びに来ていたこともあり、クラスは大盛況。30年前のシカゴの田舎で
これだから、世界的な日本ブームの今なら、どれほどの人が日本語を
学んでいるのだろう。ま、とにかく、そのクラスでの一コマ。
生徒「日本語には「かみ」がたくさんあるね。」
森「うん、髪、紙、噛み、かみ、神、といったものが分かりやすいね。」
生徒は、髪の毛つまんで「髪」、ペーパー触って「紙」、ギッと噛み
しめて「噛み」、鼻をかむ仕草で「かみ」、手を合わせて「神」と、
ジェスチャーつけて覚えていた。唯一、神の時だけ、アクセントは
頭高(あたまだか)にするよう指導したとき、うわ、本当に日本語って
難しいわ!と思ったものだ。他にも、数字ではいち、に、さんなのに、
日をつけると、ついたち、ふつか、みっか・・・・なんで?と聞かれても、
「日本語はね、そういう風になるの」という、指導者失格とされそうな
ことしか言えなかった。ピーク時は年間300万人くらいが受験した漢字検定。現在も
200万人前後で推移していて、相変わらず人気である。要は、
日本人が日本語のレベルをチェックしているわけだ。読めない、
書けない、でも、変換自在だから打ち込みで難しい漢字を操るのは
大得意。そもそも、「にほん」なの?「にっぽん」なの?
そういえば昔、「あきばはら」と言っている人がいて、訂正できない
自分がいたものだ。秋葉原・・・・そう読めるしな。