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2019年7月18日 (木)

森雄一の週一エッセイ 第12回「手放すということ」

誰もが、一生そばに置いておきたい大切なものを持っている。形のあるものなら、

貯金して購入した高級腕時計、努力の末にいただいた表彰状、オーダーメイド

アクセサリー、子どもから初めてもらった手紙等々。すぐに思い出せなくても、

探せば結構あるものだ。しかしその大切なものが、もし、破損したり、行方不明に

なっても絶望するほどのことでもないかもしれない。なぜなら、形あるものだから。

価値観は人それぞれなので、高級品=大切なもの、とは限らない。親の形見

だからといって、生活のために手放したところで誰が責めることができるだろう。

でも、やはり誰にでも、大切なものはあるのだ。

 

欲しかったものをようやく手に入れた時の高揚感。大切にしまっておきたい一方、

周りに知ってもらいたいとSNSで大公開。出世、希望校に合格、恋人関係成立、

普段、控えめな人も一度くらいは「どや顔」ってしてみたいものだと思う。これって

とても大事なことだと思うのだ。きっと自信につながるから。周りから見て、多少

なりとも変化が感じられ、それを本人から聞くことがなければ「少し残念な人」と

思われないか。もったいない・・・・そんな言葉が聞こえてきそうである。

 

さて、今回のタイトルである「手放す」というところから想像できるのは、断捨離を

始めとするお片付けブームである。手放すとは、持っているものを手元から離す

ことで、必ずしも「捨てる」ことにこだわらないようである。土地やマイホーム、愛車、

貴重品のようなものを「手放す」時は、むやみに捨てるわけではない。

一方、捨てることも含め、身近なものを手放すと言えば、衣料品あたりがすぐに

思い浮かぶだろう。言い方は悪いが、使い捨ての扱いでもある。赤ちゃんや

子ども用の衣服をいただいたり、自ら購入しても、数年たてば、サイズの問題で

やがては必要なくなる。2人目を希望しないのなら、それらは「捨てる」よりは、

新しい家族を迎えた人に譲ったり、必要とする、世界の人に届けてあげるのも

一考だろう。リサイクル、リユースできるものは、必要とする人に渡るように循環

させていくのが世の流れである。

 

実は、今回、最も触れておきたかったのは個人のコレクションなのだ。マンガ、

CD、フィギュア、アクセサリー、キャラクターグッズ等々。これらを手放すのは

どんな時なのか。手放すことはない!コレクターはそうおっしゃる。もっともである。

お金、時間、どれほどそれに費やしてきたたことか。青春そのもので、自分が

自分でいられるのは、それがあるからだ!!そう言われてしまうと、他人は介入

できないのである。私も実際、そんなノリでいろんなものを集めてきた。マンガも

すでに100冊以上あり、収納スペースの限界を超えている。仮面ライダーの

ベルトとそれを動かすためのスイッチ(笑)、実に50種ほど。武器や小道具、

すべて揃えて、悦に入ったのは7年前。仕事を通じて手にするアーティスト、

作品の関連グッズ多数。自ら購入したのはまあいいだろう。問題は、いただき

ものの各種アイテムだ。中には関係者や当人のメッセージやサインが入るなど、

ファン垂涎のものもある。もちろん自分にとっても大切であることは変わらない。

これらを捨てることは、相手を裏切ること。つまり、だ。それはできないのだ。

ただ、我が家は狭い。2人の子が成長するスピードは止められず、森家で最も

求められるのは部屋のお掃除改革で、具体的には、私の私物を置くスペースを

もっと減らせというプレッシャーだ。レンタル倉庫という選択肢もあるが、それを

使用したとしても本質は何も変わらない。手放すことを実践しない限り、無限

ループに陥ってしまうのだ。

 

データはクラウドで管理・共有する時代。いっその事、形のある身の回りのものも

同様に扱うことができたらいいのに・・・そんなことを妄想し、異世界物の小説を

書いている作家の気分に浸る。今は笑っていられるが、いつ事態が急変するか

分からない。手放すことは、将来を考えること。

 

我が家に近藤麻理恵さんの著書、まさに、例のあれがあるのだが、怖くて表紙を

めくれないのだ。ラジオCMじゃないが、「俺も交換されるんやろか~」。いや、

「手放されるんやろか~」、か?

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