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2017年6月13日 (火)

6月18日放送 第七回は 森 鴎外作『高瀬舟』

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『 パナホーム山梨 presents SUNSET THEATER 』

ご案内役の 小川もこ です。 

毎週、日曜日の17:30~18:00 FM FUJIにてオンエアー
サンセットタイムにお届けする この番組は、
私、小川もこ が 日本文学の名作をセレクトし 朗読させていただきます。

第七回放送は6月18日。今回 取り上げるのは、

森 鴎外 作『 高瀬舟』 です。

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森 鴎外は、本名 森 林太郎。
1862年(文久2年)島根県 津和野に生まれ、1922年(大正11年)に満60歳で亡くなりました。

明治・大正期を代表する文豪ですが、東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医となり軍医総監(当時で中将相当)まで上り詰めました。
ドイツへの留学経験をもとに書かれた「舞姫」は国語の教科書にも載っていましたね。


今回とりあげる作品「高瀬舟」は、1916年(大正5年)1月、「中央公論」に発表されました。
江戸時代の随筆集「翁草」の中の「流人の話」をもとにして書かれたもので、
「足ることを知る」
「安楽死」は罪なのか?
大きな命題を提起している小説として、様々に評価されています。
またテレビ、映画など映像化も数多く試みられています。
語りや朗読の公演の演目として 取り上げられることが多い作品です。

さて、あなたは、何を 感じていただけるでしょうか?

ご感想を 是非、お聞かせください。

メールアドレス
sunset@fmfuji.jp
で、お待ちしています。

日曜日の午後。17:30~18:00 FM FUJIにてオンエアー。

東京や関東近郊の皆様は78.6MHz、甲府は83.0MHzにチューニングして、
その他 全国の皆様は、LISMO WAVEや radiko.jpプレミアムでお楽しみくださいね〜♪

スマホやパソコンで聴けるアプリradiko.jpプレミアムでは、タイムフリー機能で、聴き逃しても 1週間以内なら いつでも聴くことが出来ます。
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【 追記 】
角ヨシさん からの質問メールにお答えします。

「何人もの登場人物のセリフを こなすためには、どうしたらいいのですか?」

小川から:
男性と女性は、ある程度の声の高低差(女性は高く、男性は低く)で演じ分けられますが、
同性の場合などは、声の高低ではなく、その人物の性格・性質で 声の調子、スピード、間合いの違いなどを いろいろ組み合わせて語っています。
声優ではないので、その差は なかなか明確に演じきれないのが実情ですが、がんばってます!
これからも、前後の文脈など考えながら、優しい気持ちで 聞き分けてくださいね〜...!

【さらに追記】
福島市のザッキーさんからのメール、転記いたします。

『 自分が喜助だったら、間違いなく弟の懇願に応えていたでしょう。
喜助の弟は、すぐそばに死が迫っており、しかも、もがき苦しんでいる。
喜助は、弟の苦しみという苦痛を取り除く為に、絶命を少し早めただけとは言えないだろうか。
でも。
家族が脳死判定されていて、人工呼吸器をつけて穏やかに眠っていたとしましょう。
この場合、人工呼吸器を外すことに簡単に同意できるだろうか?
きっと迷うと思います。


法学部で、刑法を勉強した時のことを思い出しながら、ラジコのタイムフリー機能で、
「高瀬舟」を もう一度 聴いてみました。
 喜助は、今の日本の刑法では、法定刑「六月以上 七年以下の懲役または禁錮」の「嘱託殺人」で裁かれることにはなるけれど、少なくとも「緊急避難」の「過剰避難」に当たり、刑の軽減か 免除があると思います。
もしかすると、「緊急避難」そのものが認められて、「嘱託殺人」のかどには問われないのではと思いました。
「緊急避難」とは
現在の危難に対して、自己または第三者の権利や利益を守るため、他の手段が無い為に、やむを得ず他人に危害を加えたとしても「やむを得ずに生じさせてしまった損害」よりも「避けようとした損害」の方が大きい場合には犯罪は成立しないとする制度です。
「過剰避難」とは
やむを得ずに生じさせてしまった損害の方が ちょっとだけ大きかったため「緊急避難」が認められない場合、犯罪は成立したとみるが、情状により、刑を軽減か免除する制度です。
「避けようとした損害」とは
”喜助の弟が死に至る苦しみ”であり、
「やむを得ずに生じさせてしまった損害」は
”喜助の弟の死を早めたこと”であり、この二つの「損害」の比較ですよね。
朗読を聴いて、誰もが喜助と同じ行動をするのではと思いました。
それは、法律も、喜助の弟が死に至る苦しみを「避けなければいけない損害」であると認め、これに対して行動することは、人間として当然だと言っているのだと思います。』

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