2019年3月 9日 (土)

3月9日は法泉寺から

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先週の武田通から西へ移動して、
甲府市の和田町にやってきました。

武田家と縁が深いお寺、
法泉寺に伺いました。

Hosenji_1
武田信玄、勝頼公の菩提寺になっている お寺です。
1330年に創建したお寺ですが、信玄公の時代に
寺領を寄進し、当時はとても広いお寺となったそうです。

勝頼公も、ここを大切にしていました。
天目山で敗れた勝頼公の首は、
当時のさまざまな人の尽力で、
法泉寺にたどり着いて、埋葬されたそうです。

法泉寺が、武田家とのゆかりが深いことは、
お寺のさまざまな場所で伺い知ることができます。

Takedabishi

本堂の中庭には、武田菱が刻まれた井戸があります。
また、本堂や山門など、さまざまな場所にも、
武田菱を見つけることができます。

下の写真、武田菱がどこか分りますか?
瓦の一番上に金色の武田菱があります。

Honndou


ちなみに山門は、1637年に造られたもので、
甲府市の文化財にもなっています。

Sannmonn

背の高い作りで、木の力強さも感じました。
住宅街を抜けると、目に飛び込む山門です。
急に、時代が遡ったような、不思議な感覚がして、
面白かったです。

武田家滅亡の後、徳川家康が
甲斐の国を治めるようになりました。
その時に、なかなか家康の言うことを聞かなかった、
武川の十二騎を説得させたのが、当時の法泉寺の和尚様。

そこから法泉寺は、徳川家の庇護を受けるようになりました。

そのため、江戸時代になっても武田菱を使うことを
許されたそうです。
また、勝頼公のお墓も、きちんと建てても良いことに
なったそうですよ。

Katsuyorikou

境内の奥にある、勝頼公のお墓です。
お墓の横にあるのは、山桜の木です。
桜が咲く時期には、より一層、歴史を感じられそうです。

勝頼公の首を持ち帰ったばかりの時は、お墓を建てられませんでした。
その時は、この山桜の木を目印にしていたそうです。

ご住職のお話を伺うと、
法泉寺が、江戸時代も武田菱の使用を許され、
勝頼公のお墓を建てることを許されたからこそ、

武田家の歴史を、
私たちは今も知ることが出来ているのかもしれない
と思いました。

戦国時代でしたら、負けた武将のものは、
全て破棄されてもおかしくないですからね。

こうやって形に残して、
武田家の繁栄や功績を語ることが出来る場所があるのは、
次の世代に伝えるために重要なもののように思います。

そして、法泉寺には、
武田家のまつわるもの、そして江戸期の
歴史を伺い知るものが、たくさん残っています。

Houmotu

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本堂の中に展示されています。
ご覧になりたい方は、
訪れる前にお問い合わせしてみてください。

今週は、ここまで。
また来週も、てくてくします。